海を渡った大和撫子

海を渡った大和撫子
Diverse young people wearing sportswear practicing yoga at group lesson, doing Ustrasana exrcise on mats, stretching back in Camel pose side view, working out in modern yoga studio
海を渡った大和撫子

ビクラムヨガが繋いだ縁

私は7年くらい前から、ビクラムヨガのスタジオに通っています。ご存じの方も多いと思いますが、ビクラムヨガとはホットヨガの元祖で、室温40℃以上、湿度40%以上の室内環境で、90分間26のポーズを二回ずつ行うヨガです。大量の汗をかき、私は2リットルの水を90分の間に全部飲み干してしまいます。

学生の頃から、テニス、エアロビクス、ジムなど、体を動かすことが大好きでした。ところが、年齢を重ねるに従い、つい無理をしてあちこちを故障するようになりました。年を痛感すると同時に、大好きなエクササイズをあきらめるわけにもいかず、ジレンマを感じていました。そんな時、オージーCAの友人からビクラムヨガのレッスンに誘われ、一緒に参加して以来、すっかり夢中になってしまいました。先生の指導に従って、正しいポスチャーで行えば、故障することはまずありません。出来れば毎日通いたいくらいですが、仕事で週に2-3回通うのが精一杯。それでも、ひどかった万年肩こりが劇的に解消され、大量の汗と共に身も心もデトックスされ、ビクラムヨガはすっかり私の生活の一部になりました。これさえ続けていれば、70歳まで現役で飛び続けることも出来そうな気がします。

ビクラムヨガは、私に健康を与えてくれただけではありません。実は、ビクラムヨガに通う様になってから、私はかけがえのない二人の日本人女性と知り合う事になったのです。一人はビクラムヨガの先生。もう一人は、同じスタジオに通う水彩画アーティスト。日本人など、ほとんどいないビクラムヨガのスタジオで私達は出会い、即、意気投合しました。今では私にとって、なくてはならない大切な親友です。お二人ともオーストラリア人の御主人と結婚して来豪、子供達を立派に育てながらも、自分らしさを忘れず、それぞれ自分のやりたい事を思う存分謳歌していらっしゃる素敵な女性です。

先日、私達はランチを共にしながら、絵画の話をしていました。すると、広島出身のヨガの先生が、原爆被害者の描いた絵画を、唯一の嫁入り道具として来豪時に一緒に持ってきたというのです。彼女が大学生の頃、アルバイトをして必死で貯めたお給料を全額握りしめて、直接作者に交渉して購入した大切な絵画だというのです。その絵は、燃え続ける真っ赤な炎の中に、孤児と思われる子供が呆然と立ち尽くしている衝撃的な絵画でした。私は写真でその絵を見せてもらった瞬間、若い頃に読んだ「生ましめんかな」という被爆者の実体験を元に詠まれた詩を思い出しました。

詩の内容は、原爆が投下された後、破壊されたビルの地下室に負傷者がひしめき合っています。血、汗、死体の臭いが溢れ、多くの負傷者が呻き、苦しみ、力尽きていきます。すると突然、若い妊婦が産気づき、まるで地獄の底の様な場所で、これから赤ん坊が生まれるというのです。重傷を負っているにもかかわらず、居合わせた産婆さんが命懸けで新しい命を取り上げ、その後、絶命するという凄まじい内容だったと記憶しています。

「生」と「死」のコントラストがあまりにも強烈で、この詩は私の脳裏に、何十年も焼きついていました。戦後生まれの私達は正しく、この取り上げられた赤ん坊だと思うのです。被爆して亡くなっていく方々が、次の世代に託した「希望」そのものだと思うのです。その「希望」を託されて、海を渡った私達。海外在住の日本人として、個人が果たせる役割は、小さなものにすぎないかも知れません。それでも、ヨガの先生、水彩画アーティスト、フライトアテンダントとして、それぞれ自分の得意な分野で精一杯活躍し、故人から託された「希望」を繋ぎ、日本人として恥ずかしくない生き方をしていきたいと、この絵を見せられて、改めて強く思いました。

ちなみに、ヨガの先生が花嫁道具として持参した絵画の題名も、”HOPE” だそうです。この私の大切な二人の親友は、会う度にお互いの “HOPE” を分かち合い、励まし合い、支え合える、かけがえのない大和撫子の同志です。ビクラムヨガのお陰で、こんなに素晴らしい「縁」にも恵まれました。これからも私達は、微力ながらも先代から受け継いだ HOPE を、しっかりと継承していきたいと思います。