タイ国際航空 Part 1

Flight Attendant
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タイ国際航空 Part 1 – バンコクでの暮らし

夢叶って、晴れてタイ国際航空の客室乗務員となり、バンコクをベースに世界を飛び回った1990年代は、私の青春のすべてでした。バンコクに暮らした6年の間に、私は恐らく20年分に匹敵するくらいの、ありとあらゆる経験をさせて頂いた様に思います。(経験談は、追って少しずつ御紹介していきます)楽しかった経験は勿論ですが、時には気が狂いそうになる程のストレスも経験しました。流した涙の量は計り知れません。それでも、あれから20年以上が経過した今では、素晴らしい経験をさせてくれたタイ王国と、タイ国際航空に対して、感謝の気持ちしかありません。それは、タイ国際航空に在籍した他の日本人乗務員も皆、同じ思いを抱いているでしょう。

タイ国際航空に採用された約20名の日本人訓練生はまず、約2か月間ホテルに滞在しながら、バンコクの本社で地上訓練を受けました。その後、機上での Line Training を修了し、やっと独り立ちです。ホテルを出て、皆それぞれバンコク市内に家を借り、本格的にバンコクベースのフライト生活を始めました。私の初フライトは、スリランカのコロンボだったと記憶しています。

当時のバンコクには、まだスカイトレインも地下鉄もなく、街はいつもエアコンのない窓全開の古いバスや車、バイク、Tuk-tuk などで混沌としていました。雨季には夕方のスコールが通勤ラッシュと重なり、ずぶ濡れ・洪水・大渋滞です。濁流のような洪水で、行き場を失ったゴキブリが、体に這い上がってきた事もありました。そんな状況で、やっとタクシーを拾っても、当時のタクシーにメーターはついておらず、料金はすべて運転手との交渉でした。外国人だと大抵ふっかけられますから、タイ語は必要に迫られてすぐに覚えました。凄まじい渋滞の中、時々モーターバイクタクシーにもお世話になりました。今思えば、ちょっと無謀でしたね!

タイでは、街の至るところに沢山の屋台が軒を連ねています。食べ物には極力気をつけていたつもりですが、来泰当初は、何度か食中毒の洗礼も受けました。そのうち徐々に免疫力もついて、タイ人と一緒に、どこで何を食べてもびくともしない体になっていきました。

タイ国際航空のタイ人クルー達は、とても面倒見が良く、食事やマーケットなどへ良く連れていてくれました。そこで買い物の際の交渉術などを少しずつ学んでいきました。

タイでは、日本では考えられない様な事が、次から次へと巻き起こります。(タイ在住経験のある方には、良く御理解頂けるでしょう!)不自由を感じる事は日常茶飯事でした。それでも、若さゆえでしょうか、その不自由すら楽しみながら、現地での生活に少しずつ順応していった様に思います。

バンコクでは、タウンハウスを借りて一人暮らしをしていました。古い木造の建物でしたが、独りで住むには充分過ぎる広い家でした。敷地内にプールがあり、フライトから帰ってくると、時々プールで寛いでいました。私の家にはメイドさんがいて、お掃除、洗濯、アイロンがけなどは全部やってくれました。本当は全部自分で出来るのですが、お断りすれば、敷地内に住んでいるメイドさん達が仕事を失うので、あえてお願いしていました。Tシャツからジーンズに至るまで、丁寧にアイロンをかけてもらい、フライトから戻れば、いつも洗い立てのシーツで綺麗にベッドメーキングされていました。今思えば何と贅沢な暮らしをさせて頂いていたかと思います。敷地内にはプルメリアの木がたくさんありました。当時を偲んで、現在住む豪州の家でもプルメリアの木を育てています。

バンコクでは、タイ人のお友達は勿論、バンコク在住の欧米人のお友達も沢山出来ました。海外ベースで、外国人のクルーと仕事をしながら、外国の文化や習慣に触れてみたい。そう思って、あえて外資系の航空会社に就職した私は、バンコクで思う存分その機会を謳歌していました。同時に、海外に出たことによって、母国「日本」を外から眺められる様にもなりました。日本にいる時にはさほど気にかけもしなかった日本人の国民性、文化、歴史の美しさを改めて認識しました。そして、タイ人や欧米人からは、それぞれ彼らの文化・思考の良いところを学ばせてもらいました。

そして、何と言っても、共に苦労を分かち合った日本人クルーの仲間の存在なくして、私のバンコク生活は成り立ちませんでした。私達は、バンコクでの暮らしも、CAの仕事も、とても楽しくさせて頂いていました。しかし同時に、機内では日本人のお客様と、タイ人クルーの板挟みになって、大変な苦労も抱えていたのです。それを唯一共有出来たのが、日本人のクルー仲間だったのです。素晴らしい先輩や後輩にも恵まれました。オフの日はよく、一緒に食事に出かけたり、遊びに行ったり、タイ古式マッサージに行ったり、マーケットへ買い物に行ったりして過ごしました。今では皆、離れ離れになってしまいましたが、世界各国、色んな分野で活躍しています。一人一人が、私の大切な親友であり、一生の宝物です。

御紹介した通り、バンコクで暮らした経験は、私にかけがえのない想い出と、海外で生きていく為の逞しさを与えてくれたのでした。