ちょうど一年前の6月、私は思い切ってヴァージン・オーストラリア航空に転職し、再び空を飛び始めました。あれから一年が経ち、今改めてあの時の決断が、間違いではなかったと実感しています。
それまで大手チャーター会社で働いていた私ですが、会社の経営方針が大きく変わり、旅行会社やスポーツチームとのチャーター契約が大幅に削減され、代わって大手航空会社の委託フライトが大半を占める様になりました。私が大変やり甲斐を感じていたVIPチャーターも、VIPジェットをオランダに返してしまった為に、もうなくなってしまいました。時代の流れ、会社の経営方針には逆らえないとと頭では理解していても、心にぽっかりと穴が開いたょうな焦燥感を感じていました。
そんな時、ヴァージン・オーストラリア航空が、羽田就航に合わせ、日本語の出来るキャビンクルーの募集を開始したのです。それまで会社には様々な経験をさせてもらい、強い信頼関係で結ばれた同僚も多かったので、ヴァージンへの転職は、後ろ髪を引かれる思いでした。しかし、50代も半ばを過ぎ、これが人生最後の転職、最後のチャンスになるだろうと、思い切って新天地に飛び込んでみる事にしました。
いざ新天地に飛び込んでみると、毎日が新しい発見や学びの連続です。「もう歳だから・・・」といった思い込みを捨てて、勇気を出して新しい扉をこじ開けてみると、そこにはまた新たな出会いや気づき、可能性が待っていたのでした。
まず、私と同期で採用された日本人クルーは、50歳を過ぎた同世代が大半を占めていました。皆オーストラリア永住者で、ほとんどがCA未経験者です。長年バリバリのキャリアウーマンとして第一線で活躍してきた、輝かしい経歴の持ち主ばかりでした。ここで私は改めて、日本とオーストラリアの違いを痛感させられました。日本では、たとえどんなに素晴らしい経歴のある候補者でも、50歳を過ぎてからCAに転職するのは、至難の業と思われます。しかし、オーストラリアの航空会社には、年齢の壁が存在しません。その人物の可能性を認め、会社の即戦力となりえるのであれば、惜しみなく採用します。特にヴァージン・オーストラリア航空は、それぞれの個性を尊重する社風ゆえ、採用された私の同期日本人クルーは皆、それぞれの持ち味を発揮して、大いに会社に貢献しています。これまで、在豪日本人と知り合う機会が少なかった私にとって、厳しい地上訓練を共にした同期・同世代の日本人クルーは、今ではかけがえのない親友です。
次に、ヴァージン・オーストラリア航空に就職したお陰で、定期的に羽田便に乗務出来る様になり、たった24時間ではありますが、日本滞在が可能になった事です。すっかりオーストラリアでの生活が長くなってしまった私にとって、久々に訪れる日本では、感動と驚きの連続です。
オーストラリア人のクルーを連れて、短い滞在中にお花見や、鎌倉、箱根、芦ノ湖などへ足を延ばし、一緒に観光を楽しみます。そこで改めて日本の美しさに感動します。景色や歴史的建造物だけでなく、ホテルのスタッフの方々の温かいおもてなしや、お店のサービス、美味しいお料理の数々。これらをオーストラリア人のクルーに紹介する度に、日本人として大変誇らしい気持ちになります。
この機会に、今までずっと会いたくても会えなかった旧友たちに会いに行こうと、互いの都合を合わせて数十年ぶりの再会を果たせるようにもなりました。
会えなかった何十年の間に、友人達もまた、それぞれの人生において、数々の経験、試練を乗り越えてきたのでした。その生き様が、それぞれの表情を、更に魅力的に輝かせている様に見えました。旧友達との友情も、こうして再会を果たしたことによって、更に深まった様に思います。
そして何よりも、機内でお会いする日本人、そしてオーストラリア人のお客様に旅のお手伝いをさせて頂けることです。両国の橋渡しとして、微力ながらも貢献出来る事が、私にとって何よりのやり甲斐であり、幸せを感じる瞬間です。目的地に到着し、お客様が満面の笑みで「ありがとうございました」と言って下さると、嬉しくて胸がいっぱいになります。
前回、幼馴染と再会した後、彼女が私にこんな短歌を詠んでくれました。
くにを出て
がむしゃらに生き
いま 旧友(とも)は
いのちにたしかな
価値を認めり
一年前、思い切って下した決断が、私に人生のやり甲斐を与えてくれたのでした。こんな素晴らしいラストチャンスを与えてくれたヴァージン・オーストラリアには、感謝の気持ちでいっぱいです。明日からもまた、日本とオーストラリアを結ぶ小さな懸け橋として、フライトに全力で奉仕したいと思っています。